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新興宗教はどの団体でも勧誘、奉仕、納金の三点が存在しマインドコントロールされる

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スピリユチアル、霊、輪廻転生、カルマについては、書籍にも諸説ありますが、私は実際に臨死体験をしたわけでもなく、あちらの世界に行った事もありませんので、断定的な書き方はできませんが、神という存在について考えられる事や疑問に思っている事を書いてみたいと思います。

 

実は私、大学生の頃までは完璧な無神論者でした。神という存在は、人間が造り出したものだと考えていました。その考え方が変わったのは、私が大学を卒業して某建設機械販売会社(本社は東京でしたが、現在は倒産して存在していないと思います)に就職し、その出張所がある宮崎県都城市に赴任した時に起こりました。

 

ここに赴任した歳の暮れ、私は日南と串間をテリトリーに持っていましたので、業者さん達に配布する来年のカレンダーを届けに都城山中を社用車の軽トラックで走っていました。午後の三時くらいだったと思います。都城山中を抜けると日南や串間へと出ます。

 

私は上り坂をゆっくりしたスピードで上っていました。が、それは予期せずに突然起こりました。車が、すっーと、センターラインを超えて滑って行ったのです。あっという間の出来事でした。そこには、どうぞここから落ちてくださいといわんばかりに、そこだけガードレールがありませんでした。

 

車は私を乗せたまま、崖から大きく乗り出しました。瞬間、終わったと思いました。福岡に一人残してきた母親の顔が浮かびました。車はそのまま谷底へと転落していきました。

 

恐怖と緊迫が混濁し、瞬間、時間が止まったような不思議な感覚でした。ところがここで第一の奇跡がおこりました。崖から谷底に激突する寸前、その数m上の岩肌から横に根を張った大木が延びていました。車はその大木に激突するも、大木は折れず、その衝撃のバウンドで軽トラは一回転して向こう側の岩肌とこちら側の岩肌とに挟まれるような形で仰向けに止まったのです。

 

私は逆さまになった車内から、ふらふらと下に飛び降り、しばらくその場に茫然と立ち尽くしていました。両膝を軽くこすった程度の怪我でした。その数分後、私が落ちた崖の上から、キキキキィーという音が山中に響き渡りました。

 

見れば頭上で、一台の乗用車がスピンしてこの下に落ちかけていたのです。乗用車は何とか止まり、去って行きましたが、もしあの乗用車が私めがけて落下してきていたら、現在、この文章を書いている私は、この世に存在していなかったと思います。

 

私は、二度の奇跡に助けられたのです。まだスマホはおろか携帯電話もない、ポケベルの時代でした。私は一人歩いては山の中ほどにある雑貨屋まで歩き、事故に遭遇した事を電話で告げました。結局、私はこの事故の事もあって会社を辞め、一年で福岡に帰りました。

 

ここから、どうして自分は助かったんだろう? 生きてまだ果たさねばならない事がお前にはある、そう言われているようで、それからの私は目に見えない精神世界の本を貪るように読みました。ここから私は目には見えないが、そういう世界は存在していると信じるようになりました。

 

私はこれまで幾つかの職を転々としてきましたが、その度に縁があったのか、先輩から新興宗教にひっぱられ、そこに籍を置いていた時期がありまして、その時にもいろいろな不思議な事は確かにありました。私が籍をおいたそれらの新興宗教は、仏教系がひとつ、神道系が二つでしたが、すべて頭文字にSがついていました。

 

まず最初に入信したのが仏教系のS苑という団体でした。ここでは接心修行といって、霊能者と対座した形で霊言を頂くのですが、言っている事は確かに当たっていて、後に入信する神道系の二つと比較すれば、かなりましな方であったと思います。新興宗教は、どの団体でも勧誘、奉仕、納金の三点セットが必ず存在します。奉仕は自分の体を使って労働する、また納金はその名の通り寄付です。この三つの中で一番困難なのが勧誘です。

 

団体によっては言い方も様々〈お導き〉とかなんとか色々いいますが、S団体では〈お助け〉と言います。どの団体でも言っている事ですが、他人を導く事で、導かれた人は救われ、それに伴って導いた自分は霊格が上がり、自分が抱えている因縁(苦しみ)が解決して救われると解かれます。

 

奉仕や納金よりもこのお助けが、一番徳積みできると教えられます。しかし私は、この勧誘行為に戸惑いを覚えると同時に強い反発を起こしました。自分がいまだ救われてもいないのに、「入信したら救われますよ」なんて無責任な事は軽々しく他人にはいえません。新興宗教団体を支えているのは七割八割が婦人層といわれていますが、女性はこの勧誘行為をわりと簡単にやるのです。しかし私には苦しみでしかありませんでした。

 

「だったら君はその団体に入って救われたの?」と問われれば、答えられる訳がありません。女性は物事を簡単に考えます。責任感もそんなにありません。更にはすぐに何でも受け入れます。女性がどうのこうのと批判しているわけではありません。

 

女性の脳とは、そんなふうにつくられているんです。他人を教団に勧誘するという事は、その人の人生を変えるという事です。勧誘するなら、それだけの覚悟を持つべきです。私はこの反発から逃れられず、教壇から遠のきました。

 

この団体にいる時に体験した不思議をひとつお話します。私は死ぬまで解決しないある病気を抱えていました。苦しくて悲しくて、絶望感に浸っていました。悲しみは怒りに変わります。私はこの苦しみを心の奥深くに封印していましたが、よく自暴自棄に陥り荒れ狂っていました。

 

「もう死んだ方がましだ!」私はよくこの言葉を口癖のように唱えていましたが、私が荒れ狂い涙を流せば、必ず軌道修正するような出来事がおこっていました。死にたい死にたいと口に出していたある日、なぜか車のトランクをあけて掃除をしたくなりました。何冊かの本が出てきました。

 

何気なくぱらぱらとページをめくると、真っ先に私の目に飛び込んできたのは、「死にたいなんて甘えた事を言って!」という活字の文章でした。宗教書ではありません。私の場合、活字を通して何かのメッセージがよく飛び込んでくる事がありました。あと神道系の教団、手かざし系ですが、この二つはちょっとおかしいです。明らかにおかしいです。ですからここでの説明は時間の無駄なので省略させて頂きます。

 

私が三つの団体で感じた事、その最大たるものはマインドコントロールです。教団に入ると自分の頭で考える力を奪われます。思考停止状態になります。男は家族とか大切な人を守るように脳がつくられています。ですから、批判的に物事を考えたり、警戒したり、一度自分の脳で情報を濾過したり分析したりします。

 

そして、これはちょっとおかしいぞと、疑念を抱いたりします。ところが教団の人たちは自ら考えようとはしません。出来ないんです。だから神道系のある団体が戦争を肯定するような事をいっても感心して頷いているんです。新興宗教団体は政治と結びついています。

 

だから特定の政治団体のポスターが貼られていたり、特定の政党に投票するように言われます。この時点で、心も人格も無視・否定されて政治利用されているのにも気がつかず、教団の人たちは指定された政治家に投票するんです。自分と言う者がないんです。ロボットと一緒です。

 

いえ、google人工知能の方が遥かに賢いと思います。話が横道にそれてきましたので、神、心霊というものにベクトルを向けてお話したいと思います。神と一口に言っても、様々なものが存在すると思います。

 

大宇宙に在る意識生命体、或いは意識などない膨大なエネルギー体、地球では各民族がつくりあげた神、(日本神道で祀られている神々は、皇室の源流たる弥生時代の人々です)などがあるでしょうが、この地球に神のような存在が果たしてあるのか? という想いがある事も否定できません。

 

それはなぜかと言うと、神・仏という存在が本当にあるのなら、愛や慈悲を説く神仏はなぜ、経済的に困窮している、或いは独裁国家の下で生きている弱い人々を救ってくださらないのか? という想いがあるからです。経済的なものでいえば、どんな状況に追い込まれても、必ず救いの手が差し伸べられている人を私は知っています。

 

それとは逆に(私のように)これでもか、これでもか! という具合に(私は望んでもいないのに)「剣を取れ!」というが如きに戦いの人生を強いられる者もあります。まさに孤立無援・四面楚歌の状況です。世界では、貧しいがゆえに学校にも行けず、泥水を飲み、裸足でゴミ山から金になるものを拾っては売りさばき、それで生きている子供達もいます。

 

戦乱で命を落とす人々もいます。犠牲になるのは、いつも弱い立場の人々です。神はなぜ、こんな弱い立場の人たちを救ってはくださらないのか? そんな想いが心から消えません。松田さんも動画で語っておられましたが、成功者の殆どは感謝の念を持っているとの事。

 

しかし逆に言えば、感謝の念などもっていなくても成功する人もいれば、一般常識から考えて反社会的な行為をしている人たちや金の苦労も知らない、そして他人の痛みもわからない権力者やその権力に同化している人たちは経済的にも裕福で、地位も名誉もある人たちです。

 

彼等が人間的にすぐれている資質とは全く思いませんが、そんな彼等が、とても感謝の念を抱いているとは考えられません。因果律でいえば、いい行いをすればいいことが返ってくる、感謝の念をもてばいい事がおこる、とはいいますが、支配者層が自分達の都合のいいようにつくりあげたシステムや体制下では、それはあてはまりません。

 

弱者は支配者層の肥やしであり、犠牲者と言っても過言ではありません。三国志では、魏の曹操は悪役になっています。彼も元は漢の臣下でした。しかしその漢に問題があったが為に問題意識を持ち、有能な人材を集めて漢の打倒に動いて魏の国を興したのです。

 

いわば改革派です。対して劉備は人間的にもすぐれていたかも知れませんが、漢という古い体質を守るいわば保守派です。保守勢力から見れば改革派は悪でしようから、曹操は悪になるわけです。日本式で言い換えれば織田信長と明智光秀のようなものです。

 

私は血の暴君ような織田信長は嫌いで、敗者の明智光秀の方が好きですが、信長には確かに魅力を感じます。曹操は信長より遥かな昔に古い制度や体質を破壊して理想の国家を建国しようとしました。曹操は治世の能臣・乱世の姦雄と評されます。世の中が安定していれば有能な政治家だが、ひとたび国が乱れれば混乱に乗じて国を乗っ取る大悪党という意味です。

 

事実、曹操は政治家としてもすぐれた人間であった事が、最近の研究でも見直されてきているようです。古代中国に連綿として流れてきた思想は儒教です。すぐれた教えだとは思いますが、その思想を利用して、自分たちに都合のいい宗教のように制度を敷いた漢は民には過酷でした。

 

為に黄巾の乱が勃発し、曹操の台頭へと繋がっていったのです。日本ではどうでしよう? 日本を支配していたのは徳川幕府です。その徳川は薩長連合に倒されましたが、それまでの農民は生かさず殺さずの思想で幕府から年貢を搾取され続けました。直訴は死罪でした。

 

それでも農民一揆が勃発しましたが、結局は武力で鎮圧されただけです。近代では悲惨な戦争もありました。特攻隊として敵艦に体当たりした人たちも、抗えない体制のもとでそのシステムに従って落命されたに過ぎません。彼等は死ぬ必要もなかったし、彼等は彼等の人生を生きるべきでした。

また生まれながらにして不治の病を抱えて生きている人たち、人が享受すべき楽しみや喜びを味わえず、それを受け入れて生きていくしかない人生を歩んでいる人たち……そんな人たちを、神はなぜ救ってはくださらないのか? そんな想いに加えて日月神事(ひづきしんじ)に語られている神(日本の神です)の言葉には、強い疑問と反発を覚えました。

 

日月神事を御存知でしょうか? 戦時中か戦後間もない頃に書かれたもので、神職であったか、それに関係する人物であったかと覚えていますが、岡本天明という人物に何とかの命(みこと)が降臨し、本人の意思とは無関係に勝手に手が文字を綴る自動書記で書かれた文章で、神からの警告を含んだものです。

 

その警告によると、この世は清濁併せて突き進む。臣民(神は日本国民をこう呼んでいます)よ、一度死んでくだされよ、といっています。乱れたこの世を洗濯するのだそうです。

 

その洗濯とは、天変地異という災害を齎してこの世を滅亡させ、神が選んだ種人(たねびと)のみを救って残し、新しい国づくりをするというものでした。神が言うには、原爆も寄せ付けない半霊半身の体になるとの事。随分荒っぽいと正直感じました。

 

仮にもしその種人に選ばれて、この世に生き残ったとしても、自分が愛する家族や大切な人が抹殺されてしまったら、怒りや悲しみ、そして絶望こそ感じこそすれ、とても喜びや感謝の念は湧いてきません。人を滅ぼす事はできても救う事はできないのか? 神様とは冷酷な存在なのだなあと、私はこの時想いました。

 

かつて私が在籍した神道系の新興宗教でも、キリスト教でいう最後の審判に相当するこの世の大掃除の事は語られていましたが、その教団でも火と水で〔かみ〕と呼び、天変地異という災害、いわゆる地震や洪水を以てこの世を大掃除される時が訪れると語っていました。

 

神はなぜ弱い人々に素知らぬ顔をするのか? なぜこの世を弱肉強食につくったのか? その思いは今でも消えません。人が苦しむのは、その人が過去世で犯した罪(カルマ)の清算とか、魂を磨く為の修行とはいいますが、では過去世の記憶が全く消去されてこの世に新しい魂を授かって生まれてきたとしても、今生の世で更なる罪を犯せば、魂磨きなど無意味になるのではないでしょうか? 

 

転生という生まれ変わり現象は確かに存在するとは想います。それによると霊魂は、自分が魂を磨く為にカリキュラムのコースを決めて、また親を選んで生まれて来るといいます。私の後輩同僚の子(小学低学年)は、空から(お腹の中に)降りてきたと言っているそうです。

 

神や霊界のシステムは人間の思惟では答えが出ないのかもしれませんが、人間が死ぬと魂が肉体から抜け出て、高い位置から自分の亡骸を見るといいます。臨死体験でも同じです。その後暗く長いトンネルのようなものを出て光に辿り着くともいいます。

 

私は臨死体験の経験がないのでなんともいえませんが、違った次元に移行するのは間違いないようです。最近では死後の世界は量子力学で証明できるという学者も出てきましたし、引き寄せの法則も量子力学で証明可能という説も出てきたようです。

私は長い人生の中で心霊体験もありますが、もし神という存在があるのなら、①なぜこの世を弱肉強食につくったのか? ②なぜ弱い人々を見殺しにするのか? この二つに強い憤りを覚えます。かつて若い頃、葬儀の仕事をしていた私は、会社の前を白い杖をついてたどたどしく歩く目の不自由な老婆の姿を目にしていました。

 

そのたびに思った事は、どうして神や仏は弱い立場にある人を救わないのか? という想いでした。自らが背負っている血の十字架ともいえる宿命に、神・仏への反発と怒りは増幅していきました。

 

私も、かつて若い頃は神仏を崇拝し、心優しい時期がありましたが、神仏への疑問と反発に、三国志の曹操状態となって闘争の炎に心がめらめらと燃えていました。

 

神という存在は、宇宙に在る意識生命体、もしくは善悪関係なしに秩序や調和を求める膨大なエネルギー体と想いますが、地球上の国ごとにも存在する、肉体を持たない力のある霊体も神と呼べるでしょうし、実際彼等は人を選んで使命を与えたり、幸福を授けたりしているようです。

 

私の職場の後輩は、小学生の時に時間が止まって、光が体の中に入ってきたそうです。彼は感謝の念を常に持ち、他人の幸福を願う人間ですので、神から好かれたのでしょう。今でも彼の中には複数の神が存在していて、いろんな事を教えてくれるそうですし、事実、彼は金に困る事は一切ありません。

 

いつも明るく笑っています。その神様のほとんどは、私を嫌っているようです。「あんなのほっとけ」と、いい顔をしないそうです。それは私が神を批判したからです。血の十字架ともいえる自分の宿命がわかってから、そして生活に困窮する綱渡りの人生をおくるようになってから、私は自民党に対抗する野党のような存在になりました。

 

いくらカルマの清算といわれても、いくら魂磨きの修行といわれても、そんなものは自分は望んでいないし、自分は泣く為にこの世に生まれてきたわけではない! 神がいう事はすべて正しいのか? 神ならば何をしても許されるというのか! 神と言う存在は、どうも調和を望む存在のようですが、その秩序の中におかしいと疑問を感じたら批判をしてはいけないのでしょうか? 

 

疑問や反発は真剣に生きている証だと想います。宗教でも政治でも学問でもスポーツでも、これはおかしいという疑問や反発は出てきて当然であり、また出てこなければウソです。出てこなければ人は成長しないし、イエスマンではただのロボットです。そんな人生に生きる意味があるでしょうか?

 

 欅坂46の歌に〔不協和音〕というのがあります。大好きな歌です。〔みんな同じ意見じゃおかしいだろ〕というのに続いて〔僕はいやだ!〕というフレーズが出てきます。疑問に対してはっきりとノーと意思表示しています。

 

徳川幕府は260年間日本を統治してきました。幕府は士農工商の下に差別階級をつくりました。この世界で農民は搾取されつつづけ、まともな事は口にできませんでした。徳川は戦国時代を終わらせ、秩序を安定させ、生活できる世界を提供してやっているんだから、不平不満を言うなど言語道断!

 

 もっと感謝しろ、といわれても、虐げられた人たちからみれば、これは明らかに狂った世界です。支配階級にはものが言えない、逆らえない、刀という武力で脅され斬り捨てられる。年貢という重税で人間らしい生活も出来ない。何のために生まれてきたのか、自分達はあなたがたの奴隷ではない! 

 

そう考える事が間違っているでしょうか? いやいや一人で生きていけない奴は支配階級にもたれかかって、その中でうまく生きていけばそれで幸せというものだ、勝手に秩序と調和を乱すな! と言われても、それが神が理想とする世の中なら、私は欅坂46になって「僕はいやだ!」と叫びます。

 

私は三国志の曹操のようなスケールの大きな人間ではありませんし、世の中に変革を起こせる人間でもありません。ただ生きるのが(世渡りが)不器用な人間であり、権力に組みひしがれるのを最も嫌う人間です。だからいつまでたっても経済的困窮から抜け出せないのかも知れないし、神様から嫌われるあまり幸せが訪れないのかもしれません。

 

私の想像ですが、日本にいる身近な神様と言う存在は、とても人間くさいものだと想います。神様にも、人間の好き嫌いがあって、個人でも、会社組織でも、繁栄をもたらしてくれるようです。神様からみれば、いつもにこにこ笑って感謝の念に溢れている人間は、尾を振って駆け寄ってくる愛くるしい仔犬や子猫のように映り、私のような異論を唱えるものは唸り声を発する狼のように見えるのかもしれません。

 

またマクロ的な神というのは、人間を遺伝子操作で創造した宇宙人かも知れないと想いますし、その人間が発する喜びや感謝のプラスのエネルギーを彼等の必要な食料として吸い取っているのかも知れないと考えたりします。動植物や魚介類からその栄養を摂取しいる人間のように。

 

だからその対価として、気に入った人間と一体化してその人間を見守り、幸福や喜びや繁栄を与え、そのお礼に一体化した人間のエネルギーを貰っているのではとも想います。win-winの関係です。先程書いた私の後輩もそれらしき事を呟いた事があります。

 

いろんな事を教えてもらうにもタダではないようです。お礼(エネルギー)を少しばかり吸われるようです。有名な話でいえば稲荷神です。稲荷神には神道系と仏教系があり、仏教系の稲荷神は怖いといいますが、神道系にしろ仏教系にしろ、途中で信仰をやめたなら、稲荷神の方でも気分はよくないでしようし、実際、今まで繁栄しいてた家や会社が廃れたという話もよく聞きます。

 

それは人間とて同じ話だと想います。(私自身が経験者です)今まで目をかけてやったのに、掌を返したように知らん顔か! と。兎に角、神と言う定義も一言では語りつくせないとは想いますが、人間と同じように様々な種類と存在があり、お願いするべきではないと想います。

 

人間には肉体がありますが、地球上のそれぞれの国に存在する神とは、肉体を持たず力を宿した意識生命体であり、幽霊と呼ばれる存在も一種のエネルギー体ではないかと想います。宇宙に遍満する膨大なエネルギー体が地球をつくり、酸素も水も太陽も人間が必要とするものはすべて無償で与えてくれている事には感謝の念を持つべきでしようが、その中には肉体を持たない生命体が存在し、人間にいろんな影響を与えているのではないか? 

 

その中で、その存在に好かれれば幸福と繁栄が訪れるが、全く興味も持たれなければ、人生はそのままという事ではないのか? とも想います。それが〔運〕というものかもしれないと想います。

 

人間の世界に置き換えてみれば、裕福か心の優しい人間が道端で捨て犬に出会ったとします。愛くるしい仔犬です。くんくん鳴いて甘えてきます。お腹も空いているようです。その犬が癒し効果100%なら、その仔犬は拾われます。

 

ところが、見た目もブサイク、それに汚い、おまけにすぐ噛み付きそうだ。そんな犬は拾われないでしょう。人間が神様にアプローチしても、向こうからすれば、なんで俺がお前の、どうしてわたしがあなたの「願いを叶えてあげなければならないの?」と言う感覚のような気がします。

 

それは頼ってこられると悪い気はしない、かわいそうに何とか力になってやろうという神もいるでしようが、それは一握の砂であって、〔運〕という幸運のエネルギーを供給してくれる神からすれば、その選択権はドラフト会議のように神様だけが握っていると想います。

 

この世は霊界の写し鏡ともいいます。案外霊界や神様というのは、この世で権力者らが自国の国益、国益といって他国の弱い立場の人たちの事など一切考えない、或いは上から通達された事には黙って従えと言われている人間世界と、大差はないのかもしれません。

 

それに心優しい神様もいたとして、その神様がOLのお姉さんで、相手が助けてあげたいと想う人間に試練ばかり与え続けているワンマン社長であれば、「君は社の方針に従えないのか? 帰れ!もう明日からこなくていいぞ!」となるでしょうし、見るからにその筋の人であれば、どうする事もできないでしょう。

 

どんなに頑張っても、OLのお姉さんが三国志の曹操にはなれないでしょうから。兎に角、神界・霊界からすれば、えっ生活が苦しいだって? そんなの自分で何とかしろよ。幸福になりたかったら努力して腕あげて俺達のドラフト会議にエントリーされるまでになってみろよ、話はそれからだ! という感じのように思います。

 

ですが、辛酸を舐め続けている人間に、自殺を考える高齢者に、笑え! 感謝しろ! 明るく生きろ! といっても、それはちょっと違うと想いますし、不治の病に苦しんでいる人や余命いくばくもない人に、医療費も支払えない人に、病院にも行けない人に、感謝だよ、明るく生きようねといえるでしようか? 神様や霊界には支払いや金の苦労はないでしょうから。

 

菩薩とは、仏の世界では如来に次ぐ№2の存在です。天皇の次に位置する関白のような存在です。観音菩薩は如来になる実力を有していながら、如来にはなろうとしません。それはなぜかというと、如来になれば、苦しむ衆生を自由に救済できないからだというのがその理由です。

 

上にいるばかりでは苦しむ人間の痛み・悲しみは理解できません。金で苦労した事もない政治家が、庶民の苦しみも理解できない政治家が、庶民と大きな温度差があるように、神様という存在も、ひょっとしたら政治家と同じ感覚なのかなとも考えます。

 

神様に一言、言わせてもらえれば、だったら人間界に降りてきて、実際に手取り14万の肉体労働でやってみてくださいよ、そしたらボロクズのように安価な賃金で労働力を確保され、また電話が止められるとか、送電停止や給水停止の支払いに怯えている高齢者の気持ちがよく理解できて、いまだに老母の入院費も支払えない、食料もディスカウントスーパーで確保しなければならない低賃金の肉体労働者の気持ちが……

 

神経をすり減らし、心も体もボロボロになって逼迫したサバイバル生活と惨めで屈辱の人生を20年近くも送り続ける60間近な男の気持ちがよく解りますよ!と……。

「この世は暗黒だ。大地の王となるよりも、全世界の主権者となるよりも、修行者の第一段階の方がすぐれている」とは、覚醒した釈迦牟尼仏陀の言葉です。

 

あの世で決まった事が、この世に映し出されるのが本当だとすれば、こんな苦しくつらい死んだほうがましだという境遇を味わい続ける事が修行や魂磨きやカルマの清算というのなら、こんな修行にいったい何の意味と意義があるのか! という気持ちになるのがまともな感覚だと想いますし、神・霊界にはブッダのような考え方は通用しないのか? という気持ちになります。

 

長々と書いてきましたが、最後に仏教の言葉で私の好きな言葉を書いておきたいと思います。〔譲り合えば余る、奪い合えば足りない〕……。

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