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おじょも(ダイダラボッチ)は山より大きい巨人。地形をつくった神様的な存在

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私がちいさいころからよく聞かされた話です。

 

「おじょも」はな、ほらその家のまえにある川つくってくれたんやで。山登ってみてきなさい、おじょもの足跡があるけんな。

 

生まれは香川県。80年代を幼少期をすごしました。香川のちょうど真ん中あたりで、当時はまだ生活環境も完全には整えられておらず、毎夏は水不足でした。香川県は平野がひろがり地中海気候もあり、また、高知や徳島から山脈をはさんで、雲があまりとおらない条件もあり水不足が深刻でした。水道からは水はでなくなり、よく給水車がまわっては水を汲んで家にためておいたものでした。

 

雨が非常にすくないことから、飲み水の確保以外にも農地用の水を確保することのほうが大変です。小さいころはよく田んぼに水がながれていくのをみるとみんながホッとした表情をみせるあの仕草が印象にのこっています。なので、香川県にはため池がおおく、やく1万5000個もあります。日本で一番ため池が多いのは約4万個の兵庫県だそうです。まちがいなく同じ悩みがあったのでしょう。

 

小さいころから聞いた、「おじょも」ということば。香川からでるとまったくきかなくなりました。

 

おじょもとは、山より大きい巨人で、そのむかしその地方の基礎、土をはこび地形をつくった神様的な存在として代々語り継がれていました。おじょもは山と山に足をかけ、小便をして川をつくったそうです。それは近所にながれる大束川となりいまでも、しょうべん川とよばれています。

 

おじょもは全国で名前を変え存在。通称「ダイダラボッチ」という巨人

このおじょも、香川県だけでなく全国で名前を変え、たくさん存在します。通称「ダイダラボッチ」という巨人です。日本各地で伝承される巨人群で、各地で山や川、沼などを量産していました。

 

子供のころよく見たアニメ、げげげの鬼太郎にもこのダイダラぼっちが登場していました。鬼太郎のものは悪魔的な存在で、おどおどしく、鬼太郎に退治される役回りでしたが、本来は天地想像の神様です。いったい、この巨人信仰はいつ頃日本にうまれたのでしょうか?

 

まずダイダラボッチとは「大太法師」がもとであるとされ、時代とともにそのよびかたになったそう。

 

よく「一寸法師」と対になっていることから、時代は同じであることを根拠に空想のもののけにすがるひとの苦労や苦悩が見え隠れします。

 

一寸法師は1500年ごろの室町時代後期のものといわれ同時期にはダイダラボッチもうまれたものと想定されます。室町時代にも大きな飢饉がなんどもあったようでそのような時代背景から一部の巨人や小人神話が加速し、信仰のまととなって後世へひきつがれたのは間違いないでしょう。

 

時代をさらにさかのぼれば700年代に、播磨国風土記や常陸国風土記には天より高いひとがおり、足跡が多数の沼地になった伝説が記されており、日本国がうまれたとされる紀元前から信仰があったのかもしれません。

 

1841年につくられた「絵本百物語」では、香川県にいる妖怪として、讃岐の手洗い鬼があげられています。「讃州高松より丸亀へかよふ入海(いりうみ)あり其間の山々三里をまたげて手をあらふものあるよし名はいかがにや知らずただ讃岐の手あらひ鬼といふ」とし、讃岐のある地域の高松と丸亀のやまにまががり、そこのあいだをながれる川というか入江で手をあらう妖怪が紹介されています

 

おじょも(ダイダラボッチ)が来る前の日本各地にある巨人神話

香川県におじょもがやってくるまえに、日本各地にも巨人神話がありました。その一例があります。

 

①まず山を作る巨人

 

富士山を作るため、甲州の土を取って土盛りした。そのため甲州は盆地になりました。また、富士山を作るため近江の土を掘って、掘った跡地が琵琶湖となりました。

 

上州地方では土盛りを作り、掘った後は榛名湖となった。榛名富士が富士山より低いのは、もう少し土を運ぼうとしたが夜が明け、途中でやめたためだそうな。

 

一方、西の富士、東の筑波と呼ばれる関東の名山の重さを量ろうとし天秤棒に2つの山を結わえつけ持ち上げると、筑波山ほうが持ち上がったが富士山は持ち上がらなかった。そのうちに結わえていたつるが切れ、筑波山が地上に落ちてしまった。

 

その衝撃でもともと1つの峰だった筑波山は、2峰になってしまったということです。天秤の話はおじょもでもでてきます。

 

②足あと、手あとを残す

 

赤城山腰掛けて踏ん張ったときに窪んで出来た足跡がみずたまりになりました。水戸市の中央部の千波湖は、かなり大きいがダイダラボッチ(この地方ではダイダラボウといわれた)の足跡であったし、遠州の山奥に住んでいたダイダラボッチが子供たちを手にのせて歩いている時に、腰くらいの高さの山をまたいだ拍子に子供たちを手から投げ出してしまった。

 

びっくりした子供たちとダイダラボッチは泣き出してしまい、手をついてできた窪みに涙が流れ込んで浜名湖となったそうです。

 

相模原市南区に「大沼・小沼」の地名が残るが、かつて実在したこの二つの沼はデイラボッチがしりもちをついた跡であり、その間に「ふんどし窪」という溝状のくぼ地があったという伝承もあります。

 

③休む、洗う、食べる

 

赤城山に腰掛けて、利根川で足を洗ったそうな。茨城県水戸市東部にある大串貝塚は、ダイダラボッチが貝を食べて、その貝殻を捨てた場所だと言われています。

 

峠で休んでいる時に、足が妙高山まで届き、その足の指をいのしいが芋と間違えかじったので、いのししを握り潰して浅間山でいのしし鍋を煮ました。鍋をこぼした場所から温泉が湧いたといいます。

 

④ひとを助ける

 

秋田県の横手盆地に湖であったので開拓を行った際、ダイダラボッチが現れて水をかき、泥をすすったため工事がはかどったそうな。東信濃は湖の底だったが、デイランボウは「岩鼻」という山を砕き水を排出し、平地を作ったそうです。

 

おじょも(ダイダラボッチ)は巨人。川をつくり、干ばつや飢餓が解決

日本各地にあるダイダラボッチの活躍だが、香川県にも海をこえてついにやってきました。いいつたえによるとおじょもは、兵庫方面から瀬戸内海をわたり、香川県へやってきたそうです。海を越えとび跳ねて上陸したそうで、ひとびとは大変おどろきまわったそうです。

 

おじょもは巨人ですが、想像より大きく、顔がくもを突き抜けておりどのような顔つきをしていたかわわからないそうです。

 

おじょもは天秤のようなもので、土をもっていており、片方の土をもったところが私の家の近所にある飯野山になったそう。もう片方の土をもって山にして、しばらく腰をおろし、休憩していたそう。その後話にあったとおり、やまにまたがりしょうべんをして川をつくり、また平家源氏の舞台となった五色台の山が見晴らしがわるかったので、上半分をきってしまって平らな山にしてくれました。

 

ひとびとは川をつくってくれたことで、干ばつや飢餓などからたいそう喜ばれたということです。

 

つい最近まで、水の確保は死に直結する死活問題だったはずで、こんなにも日本全国に伝説になるほどひろまった巨人たちは人々の恐怖からすくってくれる信仰の対象なっています。日本は島国ということもあり、他の国より水源の確保が難しかったのかもしれません

 

おじょも(ダイダラボッチ)は、生活にも大きな影響を与える大事な神様

幼少時代には、よくおじょもの話をききました。この街のシンボルとしてまた教育のアイテムとしてよくつかわれました。水を大事にしなさい。よる遅くまであそんでいるとおじょもがでるわよ。

 

不憫な生活は、逆に子供には大事なことをつたえるいい機会をくれていたと思います。しょうべん川では秋には蛍が舞い、水際でよく遊んだ記憶があります。

 

あれから30年、そのしょうべん川もすっかり整備され蛍は姿を消しました。防壁ができ子供が遊ぶ姿もありません。当時から川と接する文化はなくなり、おじょもを口にする親も子供も減りました。この30年で日本各地でダムができおじょもが登場する場面もなくなってきました。

 

3000年続いてきたこれまでの言い伝えや、それを実感できる環境は日本になくなりつつあります。

 

さらに近年の気候変動の影響で、川はたびたび氾濫し、ひとびとの恐怖の対象となってしまいました。できるだけ川から遠いところへ移住するひとは近年あとを絶ちません。水不足がほとんどなくなった現代において、逆にゲリラ豪雨など増加する水の量をコントロールできなくなってきており、この変化は今後数100年つづく変化のひとつでもあります

 

いまの子供たちには、自然の脅威にたちむかうべく、おじょもの役割も時代とともにかわっていくだろうと思います。

 

おじょもはほんのすこし前まで、数千年にわたって神様として扱われ、私の生活にも大きな影響を与えてきました。まだ年配のひとびとにとっては、信仰にあたいする大事な神様なのです。

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