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大好きな叔父が亡くなった。深夜、霊安室で二人きり。ぴくりとも動かず寂しい

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私は特に霊感などは強いとは思いませんが、多少の不思議な感覚を味わった事はあります。

 

1番最初に変わった体験をしたのは単に夢の話です。

 

実は私は9歳の時に母を乳がんで亡くしました。その後、何年もしてから、日常生活ではすっかり母の事など忘れて過ごしていたある日の事です。

 

夢の中に母が現れました。どこか知らない街の、どこかの通りの群衆の中にじっとこちらを見ている視線を感じました。ふと眼をやると母でした。でもすぐに人波に飲み込まれていきました。

 

急いでそちらの方に走って行くとほんの一瞬だけ後ろ姿が見え、また路地のような所に消えてしまいました。決して追いつく事などできません。そのような事を繰り返していたら見失ってしまい、目が覚めました。

 

夢を見ながら泣いたのはあれが初めてでした。確かその後何度か同じ夢を見たかもわかりません。

 

それから大学に入るために地方から上京しました。(正確には横浜ですが)

 

大森と平和島の中間辺りの実家から通っているクラスメートと親しくなり、遊びにこないか?と誘われました。それで訪ねて行くと、大森貝塚や池上本門寺を案内してくれました。境内で葛餅を食べたり、力道山のお墓を見せてくれたりしたのです。

 

その後、もう一カ所見せたい所がある!というのでついていくと、どこをどう歩いたのか?東京とは思えない閑静な住宅地の中に突然それは現れました。

 

三島由紀夫邸でした。

 

強烈なインパクトでした。既に主はいないのに三島由紀夫の表札がかかっていました。文字通り白亜の豪邸でしたが、建物自体が強大なオーラを放っているというか、妖気のようなモノが感じられ、初めて建物に恐怖を感じました。

 

もしかしたら香港のブルース・リー邸もこんな感じなのかな?とふと思いました。とにかく早くこの場を離れなければいけない!と感じたのをよく覚えています。

 

その後、十何年後に香港のブルース・リー邸を訪れる事になるのですが、当然の様に三島邸の記憶が甦ったのでした。

 

この話は馬鹿げてるかもしれないので人には殆ど話していません。

 

1970年代から80年代にかけて松田優作氏に傾倒していた時期がありました。イジメとか、今で言う所のパワハラなどに対抗する強さの象徴としての憧れでした。

 

その優作氏が1989年に亡くなりました。スポーツ紙を買い求めると葬儀がまさにその日に行われ、出棺が確か1時だったかと思います。知り合いでも親族でもなくただのファンです。

 

なのに居ても立ってもいられなくなり午前中で早退する事にし、とにかくクルマを飛ばし横浜から三鷹までの道のりを急ぎました。でもどう考えても出棺に間に合いそうにもありません。

 

相当遅れて何とか三鷹に着き、クルマをどこかに入れてお寺に向かいました。するとお寺の周りや沿道に人が溢れかえっています。近くに居た人にどうしたのか聞くと、出棺が遅れている、とのことでした。

 

すると自分が到着して間もなく出棺となりました。沿道からは「優作!」の叫び声があちこちから上がりました。「ああ、優作、待っていてくれたんだ!」と勝手に思い霊柩車に手を合わせました。

 

同じく1989年に叔父が危篤状態になった時、1番近くに住んでいた親戚が私だったので真っ先に駆けつけました。

 

結局深夜に叔父が亡くなってしまうのですが、葬儀屋の手配が済むまで、蠟燭の火を絶やさず叔父を見守ってくれ!というので深夜2時頃の地下の霊安室で叔父と二人っきりで過ごしました。全然恐くありませんでした。むしろ幽霊でもいいから出てきてくれ!と本気で思いました。

 

それほど大好きな叔父でした。でもぴくりとも動いてくれません。

 

よく離脱した魂が天井から自分を見てるという話も聞くので、天井を見ていても何も起こりません。ただただ静かに時間だけが過ぎて行きました。肝心な時に何も感じない!というのはいかに寂しいかと身に滲みたのです。

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