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脳性小児麻痺の子供たちの家庭を理学療法士と、海外でリハビリ指導していた。

投稿日:2017年12月2日 更新日:

こんばんは。世界の陰謀や都市伝説、他人にはなかなか理解されない秘密について知っている事を書きます。

 

陰謀?都市伝説?どうでしょう。よくわかりません。私は、自分で知り得た事が総てという人間なのです。でも、他人には中々理解されないなと思うことはあります。最近では、もう人に語ることをしないのです。

 

私は、ある時から新聞を全く読まなくなりました。

 

日本語を読むことは嫌いではなく、海外で文字に飢えて薬のラベルを繰り返し読んだり、辞書を読んだことさえあるのですが、新聞はどうも好きになれませんでした。まず、触れた手に付くインクなのか?手触りなのか?小さな頃から紙質が嫌いでした。

 

ある日、タイのホテルの自室で、ぼんやりとテレビを眺めていました。

 

旧ソ連の戦車が、人間を乗り越えてアフガンに侵攻してゆく画像が生々しく流れていました。日本ではまず流さないニュース映像でした。説明は理解できなくても、とんでもないことが起きているという状況はよくわかりました。心臓がバクバクしたように思います。

 

翌日は日本です、直ぐに新聞を買って読みました。テレビのワイドショーもつけてみました。わずかに記事はありましたが、衝撃的だったタイでのニュースは日本で流れていませんでした。

 

ベトナムのポルポト政権の異常な状態も、大量殺戮も日本で報じられたのは、被害女性が日本に帰国し、自分の日記を出版されてから。「キリング・フィールド」という、実際に生抜きアメリカに亡命した医師が主演した映画が話題になったころだったと記憶しています。

 

当時、私には写真仲間がいました。たまに会って自分の作品があれば見せ合うという関係でした。彼女は暫くアメリカに留学していて、好きだったカンボジア人の青年がいました。彼はアメリカで飛行機の整備士の勉強中だったそうですが、彼の家族は皆ポルポト政権によって亡くなってしまったそうです。パリに留学中だった妹さんと、アメリカで学んでいた彼の二人だけが残されたのだと話していました。

 

それだけではありません。海外にほんの少し行き来すれば、沢山の矛盾や不条理が特別な考えや目を持たなくても飛び込んでくるのです。そうか…日本という国は、政府と言って良いかどうか分かりませんが、確実に情報をコントロールされている国なのだと肌で感じました。

 

新聞もテレビも総てのマスメディアに失望した?いや、失望というほど信頼していたわけではないので、やっぱりな!という確信でした。
それから、新聞は読みません。テレビも身を入れて観ることはありません。偶々引っかかったドラマやドキュメントを観るくらいになりました。

 

私がユーチューブを見るようになったのは、この6か月程です。英語で日本を紹介するものを探していて、つい日本語恋しさからから始まりました。最初、海外から見た日本。外国人が称賛。日本はこんなに素晴らしい。日本人はこんなにも民度が高い...と、まぁ凄い自我自讃記事に笑ってしまいました。しかも、日本語です。一体誰に向けての発信なのかな?と思わずにはいられません。

 

政府広報が若者の愛国心を煽っているのか?右翼団体からの洗脳活動か?兎に角、誰かがこの日本をどうにかしようと真剣に取り組んでいる熱意は感じます。それにしても、ほかの国が日本に対してどうした…こうした…という記事や、他の国の人々が、日本人をどう思っているか…、という他人の目を意識したものが多く、大真面目。キャッチコピーもつい読んでしまうようなもので、凄い力の入れようです。

 

いじらしい日本。健気さを感じます。

 

私の知るインド国民レベルは中間層だと思います。教育も収入もある彼らが、日本のことなど何も知りません。スズキ、日産、トヨタ、パナソニック、…沢山、日本企業を知っていますが、それは製品のこと。「日本は良い国だろ?ジャッキー・チェンのファンなんだ…」

 

私は、日本を誇りに思っています。日本の恩恵を沢山受けています。愛国心もあります。こちらで、文化交流のイベントを催す際は、当然インドの国歌を皆が歌います。他に日本人がいれば、私も一緒に「君が代」を歌います。私はボーダーラインの音痴なのです。一人のときはユーチューブからダウンロードしたものを流しています。私の日本での友人には、「君が代」を決して歌わない人も多いのですが。

 

この世に起こる様々な出来事、目をそむけたくなるような実態、私にはどうすることも出来ない事だらけです。自分の身さえ思うように使えなくなってきました。それらを突き付けられたとき、「祈り」しかありませんでした。「祈り」は自己満足かなどと言う余裕もなく「祈り」しかありませんでした。そして、生きている間は出来るだけ「知ろう」「覚えていよう」と思って生きています。共感も寄り添うこともできない事さえありますが、私が目にした事、知り得た事は、生きている限り覚えていたいと思っています。

 

こう思うに至ったのは、バングラディシュで3ヵ月暮らしたときの体験からでした。私は夫との関係に悩みきって、バングラディシュで老後を迎えたいと思ってNGOに参加していたのです。彼らの独特の価値観と物事の進め方に呆れ返ること多々。どこの国でも体験することですし、最近では、日本ででも体験します。実は、そのカルチャーショックが大好きです。人間の多様性に希望を感じるというか…神の偉大さを感じるのかもしれません。

 

諸事情でバングラディシュには住めなくなったのですが、その一因に「水」の問題がありました。少し街を離れると、本当に溜め池の水だけで暮らしている人々が殆どでした。地下から汲み上げた透き通った水には、天然のヒ素が含まれていました。現地に到着後24時間ほど我慢したのですが、洗面の際、遂に一口地下水を飲んだのです。恐る恐る、本当に50ccほどでした。30分しないうちに、嘔吐と下痢が始まり、めまいで立っていられませんでした。

 

他の職員たちも医療従事者でしたが、赤ん坊のときから少しづつ飲んできたので、その微量の天然ヒ素を飲んでも、少しならば大丈夫なのだと話していました。

 

私の仕事は、脳性小児麻痺の子供たちの家庭を理学療法士と、リハビリ指導に回ることでした。月曜日から金曜日、毎日5件程、実質2カ月回り、同じ患児の家に回れたのは1度あるかないか。別の職員も同様に回っていたので、数は軽くその倍。それだけ、多いのです。日本も1960~1970年代まだまだ沢山の脳性小児麻痺患児を見ましたが、本当に吃驚するほど多いのです。

 

少し医療現場に居ただけの私のような人間を、Dr.と呼んで自宅まで相談に来た親子がいました。30代に入ったダウン症の女性というか、女の子でした。障害児教育の何もないところです。只、家族とお母さんの愛情だけで育てられた子でした。お兄さんにお嫁さんが来て、60代になったお母さんは肩身が狭く、先々が不安でわざわざ数時間かけて、こんな私に相談しにやってきたのです。

 

そのころ私が計画していた園芸療法のプログラムに誘いましたが、簡単に施設に来れるはずもありません。信仰しか、神しか、救いはないのです。アッラーが下さった無垢な存在でしょ?天使のようでしょ?寿命は長くないかもしれない…(医療状態の悪い国では合併症を抱える率の高いダウン症の人は短命でしたから)。酷い言葉でお母さんを慰め、彼女の事を嫌悪する兄嫁の不満のガス抜きをしました。

 

アパートの窓の下に沐浴用のプールがありました。そのアオミドロびっしりの水で数百人の男性が口をすすぎ、顔手足を洗い、祈りのために身を清めます。毎日5回、同じ水を使い続けます。人がうがいし、顔手足まで洗った水で又うがいするのです。毎日その光景を見続けました。

 

あ~もう駄目だ!ここが限界だ。私には暮らせない地なのだと思い知りました。そこで暮らせるように、私の身体は作られていなかった。本当に私は無力でした。

 

今でも、私はそこで出会った人々が一番懐かしく思い出されます。カオスを知りました。愛すべきカオス。愛すべき人々です。忘れたくないことの一つです。

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